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歴史と文化
250万年前

マテーラは初めて見た瞬間から古い歴史を感じさせる都市です。マテーラの起源は遠くは旧石器時代にさかのぼります。マテーラ市とその周辺には、今でもその名残が見られます。この遠い昔の人間の足跡は、峡谷の下にある、コウモリの洞穴で発見されており、旧石器時代、新石器時代、そして金属の時代の遺跡だとされています。

マテーラに定住し始めたのは、マグナ・グレキア(大ギリシャ)の民族で、紀元前4世紀から5世紀にかけて、初期の集落群を形成しました。紀元前3世紀には、ローマの執政官メテルスの時代に、集落は組織を整え、メテオラ(Metheola)の名で呼ばれるようになりました。

都市の最初の核となった部分はチヴィタ(Civita)と呼ばれました。チヴィタは、壮大な司教座聖堂がそびえる峡谷(「グラヴィーナ」と呼ばれます)の右斜面にあり、司教座聖堂の横には、サッソ・カヴェオーゾとサッソ・バリザーノの サッシ(洞窟住居)の両地区が形成されました。この都市形状は世界で特異なもので、1993にユネスコの世界遺産として登録されています。

664年には、ロンゴバルド族がマテーラを征服し、ベネヴェント公国に組み入れました。続いて、マテーラはフランク族の侵入を受け、攻撃や破壊を被りました。ルドヴィコ2世によって完全に破壊された後(867年)、当方から修道士や隠者の集団がこの土地に移り住み、峡谷の洞窟はクリプトや岩壁教会群に変えられました。マテーラは、サラセン帝国、ノルマン帝国、ビザンティン帝国の侵入で街が2度にわたって全壊の状態になりましたが(2回目は994年)、常に再建されました。

12世紀から13世紀にかけては、マテーラは貴族の領地になり、続いてアラゴン王朝の支配の後、ジョヴァンニ・カルロ・トラモンターノ公爵に譲渡されました。公爵が建てた城は公爵の名がつけられています。1663年にはマテーラは、バジリカータ王立裁判所の所在地に指定され、この名誉ある役割を1806年まで果たすことになりました。